「マルコ受難曲」とは何か、四福音書のなかでマルコの受難記事がどういう位置を占め、それを音楽化するとどんな性格を帯びやすいのか。そのうえで、バッハとの関わりで名の残る「カイザーのマルコ受難曲」を解説する。
「受難(Passion / ラテン語 passio = 苦しみを受けること)」とは、イエス・キリストの生涯の最後の数日、すなわち最後の晩餐から、ゲツセマネでの逮捕・裁判・鞭打ち・十字架への道行き・磔刑・死、そして埋葬までを指す。福音書のなかでこの部分は独立した塊として扱われ、教会暦では受難週(聖週間)に朗読される。
「受難曲」は、この福音書の受難記事を典礼の朗読の延長として音楽化したものに起源を持つ。もともとは聖週間に受難記事を歌で読み上げる慣習があり、その際に
を声の高さや配役で歌い分ける形が中世末〜ルネサンスで確立した。ここから多声のモテット受難曲、さらにアリアやコラールを挿入したオラトリオ受難曲(バッハの『マタイ』『ヨハネ』が頂点)へと発展する。
重要なのは、福音書は四つあり、受難記事も四つあること。伝統的な聖週間の朗読配分はおおむね、
であった。つまり「マルコ受難曲」とは、マルコによる福音書の受難記事をテキスト基盤とする受難曲のことである。
そしてマルコ福音書の重心は受難にある。神学者ケーラーの有名な言い方を借りれば、マルコ福音書は「長い序文のついた受難物語」とすら呼ばれる。前半ずっと「イエスが何者か」が隠され(いわゆるメシアの秘密)、その答えが十字架の場面で初めて、しかも異邦人の百人隊長の口から「まことにこの人は神の子だった」(15:39)と明かされる——この構造のクライマックスが受難なのである。
受難曲の「台本」として見たとき、マルコの記事には次のような特徴がある。
マルコの受難記事(14〜15章)は四福音書で最も簡潔。会話も説明も削ぎ落とされ、出来事が乾いた筆致で連なる。装飾の少ない、むき出しの叙述が基調になる。
ここが台本上いちばん効く差。
→ 四福音書を合わせて「十字架上の七つの言葉」になるが、マルコ単独では、最後の言葉は“見捨てられた”という絶叫一つ。受難曲としては、慰めや赦しの言葉ではなく、孤独と暗闇でクライマックスを迎えることになる。
裁判でもマルコのイエスは多くを語らない。雄弁な弁明や反論がない分、福音記者の語りと群衆の叫びが前景に出る。
マタイはマルコを下敷きに多くの場面を足している:ユダの後悔と死、ピラトの手洗い、ピラトの妻の夢、墓を破って現れる聖徒たち、墓の番兵——さらに旧約の成就を示す引用が多い。逆に言えば、マルコにはこれらのドラマチックな挿話がなく、より裸の物語である。
ヨハネの受難は勝利と主権の神学で貫かれる。イエスは終始、出来事を支配する側にいる——「私である(エゴー・エイミ)」と名乗ると兵士たちが地に倒れ、自ら十字架を背負い、「成し遂げられた」と完成として死ぬ。見捨ての叫びはない。 対してマルコは、神に見捨てられ、暗闇のなかで絶叫して死ぬ、苦しむ人間イエスを描く。受難曲の感情の方向が、ヨハネ=荘厳・王的、マルコ=荒涼・孤独、と対照的になる。
テキストの上記の性格が、そのまま作曲上の傾向に響く。
マルコの聖句は短くそっけないため、これだけでは大規模なオラトリオの尺と情感を支えにくい。結果として、
のどちらかに振れやすい。マルコ単独では福音書本文の「素材」が薄いぶん、作曲家・台本作者の解釈余地が大きいとも言える。
最後の言葉が見捨ての絶叫であり、慰めの言葉がない。和解や勝利でなく、孤独と暗黒で頂点を作るのが自然で、ヨハネ受難曲のような荘厳・王的なトーンより、内省的で重い色調になりやすい。
「十字架につけよ(Σταύρωσον)」などの群衆場面はマルコにもあるが、マタイ・ヨハネに比べ台詞が短く、畳みかけるため、群衆合唱も短く鋭い断片として書かれやすい。
四つのうちマルコの受難曲は数が少ない。理由は上記の通り、テキストが短く、台本化に手間がかかること。代表例として、
マルコ受難曲とは、四福音書のなかで最も古く・短く・そっけない受難記事を基盤とし、慰めや勝利ではなく「神に見捨てられた孤独な死」と、その直後の「神の子」という認識の反転をクライマックスに据える受難曲であり、テキストの簡素さゆえに禁欲的な簡潔さか、挿入詩による黙想的拡張かという二方向に音楽が振れやすい——という点に、マタイ・ヨハネとの最大の違いがある。
前述したマルコ受難曲の一般的性格をそなえた一作がこの作品である。本作自体は現代では演奏機会の多い曲ではないが、バッハ自身が演奏資料として手を加え演奏し、バッハの音楽にも影響を与えたと推察されるという点で名が残っている。慣例上の作曲者は、ハンブルクのオペラ作曲家ラインハルト・カイザー(Reinhard Keiser, 1674–1739)とされる(ただし帰属は不確実。後述)。
ドイツ語によるオラトリオ受難曲で、マルコ福音書の受難記事(ルター訳ドイツ語)を物語の幹とし、そこにコラールと自由詩のアリアを挿入した、18世紀初頭・北ドイツ/ハンブルク様式の作品。成立はおおむね1700年代初頭(1705〜1712年あたり)とされる。
一般論に照らすと、これは「マルコの短く素っ気ない聖句を、コラールとアリアの黙想で膨らませる」方向の典型例である。福音記者のレチタティーヴォによる語り、群衆合唱(turba)、簡素なコラール、そして黙想的アリア——という、バッハの大作『マタイ』『ヨハネ』以前の、より小規模で親密な旧型のオラトリオ受難曲の姿をとどめている。
この作品が今日まで知られるのは、J.S.バッハが繰り返し演奏・改訂したことによる。自作ではなく他人の作品をバッハが上演用に手を入れた資料として伝わっている点が特異である。
おおよそ次の三段階が知られる:
このため、楽譜がバッハ周辺の筆写譜の形で残り、「バッハ作品ではないがバッハ演奏資料」として重要視されている(BWVには正規番号を持たず、付録・偽作圏で扱われる)。
「カイザー」とは、ハンブルクのオペラ作曲家ラインハルト・カイザー(Reinhard Keiser, 1674–1739)を指す、というのが慣例的な帰属である。しかし作者は確実ではない。
つまり「カイザーのマルコ受難曲」という呼び名は、確証された作者名というより慣用的なラベルと理解しておくのが正確である。
第一部で挙げた「マルコ受難曲が振れやすい二方向」のうち、この作品は明確に簡素・親密な側にある。
「カイザーのマルコ受難曲」とは、
——と位置づけられる。第一部の一般論でいう「マルコの短いテキストを、過剰に荘厳化せず、コラールと黙想アリアで静かに支える」タイプの一例にあたる。